2016年10月

2016年10月30日

祝 明治大学能楽研究部 観世会 65周年

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明治大学能楽研究部 観世会が、このたび創部65周年を迎え、矢来能楽堂で記念の会を華々しく開催いたしました。


大学時代は、能楽研究部が私の青春でした。

授業にはほとんど出ていませんでしたが、稽古には必ず参加していました。
当時、基本は月・水・金曜日の週三回のお稽古でしたが、舞台公演前になると火・木曜日も稽古日となります。年に7回ほど公演はありましたので、春秋はほとんど毎日稽古がありました。
放課後の教室にゴザを敷いて、夕方3~4時間の稽古をしていました。

そのほかに、昼休みに40分ほど昼稽古をしていました。これは毎日です。
昼休みに稽古してるのなら、昼食はいつ食べるんだとお思いのことでしょう。
当然、午後の授業に出ずに食べていました。学食がすいててゆっくり食べれます。

とにかく、能の稽古に明け暮れた大学時代でした。
周りの部員も、ほとんどそんな感じです。


現在このクラブの師範は、同じくOBである同じ九皐会門下の鈴木啓吾さんと共に、私が勤めています。

後輩たちに稽古をつけるのは、やりがいがあります。
スケジュールをやり繰りして、稽古時間を確保しています。

毎年、新たな学生が入部し、そして4年間やり遂げた学生が卒部していきます。
様々な学生たちに稽古しました。色んなヤツがいました。
それぞれに思い出深い連中です。

その積み重ねのうえ、今年創部65周年です。

現役の学生さん達はじめ、様々な代のOB達が集まり賑やかな会となりました。

この楽しい集いがいつまでも続いてほしい。

それには、一にも二にも現役の学生たちの充実が必要です。
現役の隆盛なくしてOB会の隆盛はありません。

伝統ある明治大学能楽研究部の歴史を、ずっとつないでいくのが、クラブの指導を預かった私の務めだと思います。

これからも学生たちに能の面白さを伝えていけるように、稽古に励もうと思います。



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2016年10月21日

御礼 広島大附属福山

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本日、文化庁学校巡回公演にて、母校の広島大附属福山中学高校に参りました。
卒業生ということで、シテをさせて頂きました。

11時から事前ワークショップで公演は午後からでしたが、朝早く行き、久しぶりの母校の構内を散策しました。

基本的には変わっていない母校の様子を肌で感じて、何だか懐かしくてウキウキしちゃいました。

「ああ、ジュース買ってここでよく飲んでたなあ」
「この倉庫、まだ使ってんのか、ボロボロじゃないか」
「卒業の前、お金落として、この溝掃除したなあ」
色んな思い出がよみがえって来ます。

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卒業記念の碑も見つけました。
この中にタイムカプセルが埋められていました。
21世紀になったときに、もう掘り出しました。中身はないのに、外側は残っているんですね。


国立の学校だったので基本的に転勤はなく、私が在学していた当時の先生も6人くらい残っています。
一人ずつ教官室に訪ねていきました。

一通り校内を巡って、公演が行われる体育館に行きました。
中学高校の6年間、バスケットボール部に所属していた私にとって、思い出深い場所でもあります。

あら、こんなに大きかったけ?
意外に大きく感じられました。
最近、小学校の体育館ばかり行っているので、高校も併設されている母校の施設の立派さに驚きます。

耐震補強をしたらしく、内装はちょっと変わっていますが、大まかには同じです。

「そうそう、ここにバスケットボールが置いてあるんだよ。ここはバレーのネットがあって」
「パイプ椅子はここだ。入学式や卒業式の時なんか、生徒がバケツリレーでパイプ椅子を運ぶんだったなあ」
「そう、ここの水道で、先輩に隠れてよく水飲んだよなあ」(当時、スポーツするときは水を飲んではいけなかったのです)

思い出は尽きません。


午前中に事前ワークショップ。
生徒さん達は、しっかりと話を聞いています。体験も、和やかに出来ました。

昼休みに学食に行き、昼食です。
全く変わらない食堂のメニューと味に苦笑い。
私の記憶では120円の素うどんが240円に、230円のカレーが360円に、350円の定食が440円にと、軒並み値上がりしています。卒業して27年。時の移り変わりを感じます。

昔は、350円の定食を食べる奴は、金持ちと呼ばれていました。
大人になった今、440円の定食を、安いなあと言いながら食べています。


急いでお昼を食べると、舞台設営です。

連日のように、手際よく舞台を組みます。
思い出の体育館に、このような能舞台が組まれました。

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能舞台を組んじゃうと、急に普通の学校公演のような気になってきました。
何だか、思い出の体育館という気がしません。

普通の学校公演の要領で、舞台は進んでいきました。

母校で能を舞ったら、どれだけ感慨深いのだろうと思っていました。
でも、始まってみたら普通でした。

その大きな要因は、能面をかけていることでしょう。
視界が極端に狭いので、余計なことを考えている暇がありません。
どうしても自分の世界に入り込みます。

結果的に前半は、自然体で演じることが出来ました。

後半は、鬼女となってワキの山伏と激しく戦います。
これは、意識していつもより強く演じてみました。
能を初めて見る中学生にインパクトを残そうと、気持ちを前面に出して舞台を動き回りました。

思い切って出来たかなあと、満足の舞台でした。


昔の同級生も、たくさん応援に来てくれました。
同級生たちと話していると、甘酸っぱい昔の思い出がよみがえって来ます。

能舞台という日常。いつものように能を演じ公演を行っています。
そこを一歩降りると、懐かしく柔らかい世界。

不思議な感覚です。


同級生と話しているうちに、面白いことを思い出しました。

この体育館は、バスケ部として思い出の地ですが他にも懐かしい思い出があります。

文化祭の2日目に行われる「かくし芸大会」で、私は何人かの有志でグループを組んで、毎年くだらないコントや寸劇をやっていました。
毎年出場しては、全然ウケずに最下位をとる私たちのグループは、学校でもお調子者の奴らとして有名でした。

「かくし芸大会以来の体育館公演だね」
そう言われて、ハッとしました。

くだらないかくし芸を披露して嘲笑されていた生徒が、同じ体育館に凱旋して、今度は立派な古典芸能を演じる。

なんか、とっても素敵なことのように思えてきました。


生徒さんたちの鑑賞態度、またワークショップなどへの積極的な取り組む姿勢など素晴らしかったです。
私が中学生の頃は、こんなにおとなしく鑑賞してたかなあ。

でも、中には騒いでるお調子者もいます。
ああ、私はこんな生徒だったなあ。

私の在学当時を知っている先生に言わせると、生徒の気質は、良くも悪くも全然変わっていないそうです。

まあ、相変わらず男子は学生服で女子はジャンパースカートの制服を着ています。
便所スリッパみたいな上履きも変わっていません。
そんなに可愛い女子やイケメン男子もいないのも相変わらずです。


とても優しい気持ちになった凱旋公演でした。

やっぱり母校は良いもんだなあ
しみじみと思いました。

また、何らかの形で母校に恩返し出来ればよいなあと、切に望みます。


先週、日曜日から今日まで6日間、岡山と広島で過ごしました。
友人や先生方と話しているうちに、自然に広島弁が出てきます。

明日から日本シリーズも始まるし、まだまだ広島に居たいのですが、明日は埼玉で仕事です。
東京へ戻らなければなりません。

名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、母校と故郷を後にしました。



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2016年10月19日

母校に錦

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文化庁の学校巡回公演で、月曜日から岡山にいます。
いつものように、体育館にこのような仮設舞台を組んで、能と狂言の公演を行っております。

私の故郷・広島県福山市の近郊を回っています。
先生方や生徒さんたちが話している訛など聞くと、懐かしい気持ちがわいてきます。

昨日は地元に帰って、小学時代の同級生たちと久々に会いました。
英気をすっかり充電して、ツアーに臨んでいます。

今回のツアーの最終日の金曜日には、私の母校・広島大附属福山中学にまいります。

主催者の計らいで、その公演では私はシテをさせて頂くことになりました。


今まで、いろんなところで能を舞いましたが、今回の舞台は格別です。

11年前に、やはりこれも母校の明治大学でも能の公演をさせて頂きましたが、それともちょっと違います。
大学時代は、能楽研究部に入っていて、明けても暮れても能ばかりやっていた時代。
そこでの能公演は、何となく導かれた感じがあります。


一方中学高校時代の私は、全く「能」には無縁に過ごしました。
当時の先生方は、私が能楽師になったなんて、さぞかし驚愕の出来事だと思います。

当時は、バスケットボール部に入っていました。
バスケに夢中になっていた青春時代でした。

毎日、練習に明け暮れた体育館は思い出が詰まった場所です。

その聖地に、上記のような能舞台を組んで、能が舞えるなんて、、、、
こんな嬉しいことはありません。


思い起こせば、私が中学2年生の時、学校の体育館で「平曲」の生演奏を鑑賞しました。

平家物語とは、元来琵琶の弾き語りから始まりました。
その弾き語りのことを「平曲」といいます。
今、「平曲」を伝える演奏家は日本に数人しかいません。

そのうちの一人・橋本敏江師が、なんと学校の体育館で演奏してくださいました。
贅沢なくらい貴重な体験です。


私たちは、事前に国語の授業で、平家物語をガッツリ学んで臨みました。

当時の私は、何せ芸術的センスのかけらもない体育会系男子でしたので、演奏を聴いて「感動した」とか、「素晴らしかった」とは、正直思いませんでした。

ただ、妙に印象に残っています。

やはり、それが「生の魅力」なんだと思います。

結果的に能楽師として古典芸能の世界に生きている私の、古典芸能の原体験は、中学校の体育館だったのです。

だからこそ、この公演は感慨深いのです。

30年以上前に私が感じたことを、今の母校の生徒さんたちにも感じて欲しいなと思います。

明後日の舞台、心して勤めたいと思います。



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2016年10月02日

茉莉会@富士ロゼシアター

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本日は、私が指導しておりますお弟子様の会・茉莉会の沼津・富士・富士宮教室の皆さまの発表会が、富士ロゼシアター和室・無双庵にて行われました。

今まで、静岡の稽古場の発表会は沼津御用邸で行っておりましたが、今回は場所を変えて富士ロゼシアターです。

沼津御用邸はとても良いロケーションの会場ですが、富士宮からは遠いという難点があります。
沼津・富士・富士宮の中間ということで、ロゼシアターでの開催としました。


お稽古歴ウン十年のベテランから、初舞台の方まで、謡に仕舞に賑やかな一日でした。

今回は初めての場所で、さらに初舞台の方も多く、初々しい雰囲気が満ち溢れ、良い雰囲気でした。

私は、舞台人としてこういう雰囲気は好きです。
いつもと同じ場所で同じメンバーでいつも行っていると、どうしてもマンネリ化します。

新鮮な気持ちで舞台に上がるって、良いですね。

ここ数回のお稽古は、すべて発表会に向けてのお稽古でした。
そのお稽古の成果が見えた舞台ではなかったでしょうか。

私は全ての番組の地謡を謡いながら、お弟子様方の成果に大満足です。


今回は、子供たちも大忙しでした。

長男・潤之介(10歳)は、仕舞「嵐山」・素謡「歌占」「橋弁慶」子方。
次男・大志郎(9歳)は、仕舞「竹生島」・素謡「富士太鼓」子方。
また、それぞれの仕舞の地謡も謡ってもらいました。

8月12日が深川八幡祭 能奉納での舞台でしたので、実質お稽古時間は一月半でした。
これだけの番組数を、覚えさせるため結構ハードに稽古しました。

子供たちは二人ともお稽古は大好きで、嬉々として取り組んでいました。
教える私が大変です。

終わってホッとしていると、子供たちはすかさず聞いてきます。

「11月の茉莉会は、何やるのの?」
「ボクは何々がいい!!」
「何々もやりたい!!」

11月27日(日)は、東京のお弟子様の発表会があります。
早くもそれに向けて、意気揚々です。


そうです、ホッとしている場合ではありません。
今度は、東京の発表会に向けて準備にお稽古に忙しくなります。



kuwata_takashi at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)