2012年08月

2012年08月15日

深川バロン倶楽部 奉納

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さて、能奉納があけて15日は、毎年恒例の「深川バロン倶楽部」のガムラン奉納です。

今年は忙しくて、全く練習に参加できなかったので、私は最初の行進に参加しただけです。
写真で、半纏着た方々に囲まれている真ん中の男が私です。

5分くらい行進するだけですが、1時間くらいかけて衣裳を着てメイクをキメました。

深川バロン倶楽部の奉納は、毎年奉納行事の中で一番多くのお客様を集めます。
今日も、境内にギッシリでした。

深川バロン倶楽部の合言葉は、「いずれは深川の郷土芸能」です。

ガムランは、確かにインドネシアの芸能ですが、今では日本で盛んに演じられています。
日本風のアレンジも加わって、日本のガムランはインドネシアにない進化を遂げています。

深川バロン倶楽部の売りは、神社の祭礼と一体化していることです。
地元のお祭り集団(睦会)の方々の協力を得て、お祭り奉納に特化した上演にこだわっています。

考えてみれば、能だって元々は中国から伝わった「散楽」という芸能を日本風にアレンジしたものです。
雅楽だって、琴や尺八や三味線などの和楽器も、もともと大陸から渡ってきたものです。

南方の島々から渡ってきたガムランが、深川の御神楽となったって何の不思議もありません。
そう展開していけば、面白いなあと夢見ています。


ちなみに、インドネシアは昔オランダの植民地でした。
江戸時代に日本が唯一交易を行ったオランダを通じて、江戸時代にはガムラン楽器は日本に入ってきていました。

浮世絵で、松平定信や市川団十郎などがガムランを演奏する絵もあります。

日本における、ガムランの歴史は、実はとっても古いそうです。


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2012年08月14日

能奉納「三輪」 御礼

富岡八幡宮_能奉納_三輪_ (28)

深川八幡祭り 能奉納「三輪」 終了しました。

10日の宵宮、11日の町内神輿渡御、12日の連合神輿渡御と、大盛り上がりの深川八幡祭り。
神輿が終わって、身も心も温まってホッコリとした気分に浸っている深川っ子。

そんな温かい雰囲気のなか、8月14日に、「能奉納」をさせて頂きました。

当日は朝から雨が続き、野外舞台で行うのは無理だなと思っていたら、午後から気持ちの良い天気となりました。

雨が降っていたおかげで、そんなに気温も上がらない中、気持ち良く富岡八幡宮境内の特設神楽殿で奉納させて頂きました。
(といっても、暑かったですけどね)

奉納行事に参加する人は、事前に必ずお祓いを受けます。
神社の本殿に正式参拝し、神主さんから祝詞を受け、身を清めます。

なんとも言えない静粛な気持ちで舞台に上がるのです。

最初に社中の方々の仕舞と連吟が行われます。
この時は、後ろに付いてハラハラドキドキ。
皆さん無事に終わったことを確認して、いよいよ能「三輪」です。

シテの三輪明神は、謡の中で「伊勢の神と同一体」と呼ばれています。
そのせいか、能ではとても位の高い女神として扱われます。

能界では、こんな言葉もあります。
「厄年の時は三輪をやると良い」

私は今年、数えの42歳。まさに本厄です。

先日、自宅能舞台に神棚を設置したのに続いての厄払いです。
御神前に、「三輪」の能を奉納するのですから、これ以上ない厄払いでしょう。

さて、今回は「三輪」の後半部分だけ演じました。
場所が狭いので、作り物も出しませんでした。

三輪には、作り物をご神木に見立てて、型を行う箇所があります。
その型は、富岡八幡宮本殿に向かってやってみました。

会場を取り囲む大勢のお客様の中、気持ち良く演じさせていただきました。
ご来場の皆さま、どうも有難うございました。


「芸能の原点は祭りにあり」
柳田国男のこの言葉は、私の大きなモチベーションです。

能の原始のスタイルで演じる、富岡八幡宮の例大祭での奉納という機会を大切にさせて頂きたいと思います。

今回、嬉しいことがありました。
客席にいた私の知り合いから聞いた話ですが、お客様の中で「能奉納、楽しみで毎年来てるんですよ」と言っていらした方がいたそうです。

全然見ず知らずの方からそう言われることは、たいへん勇気付けられます。

能奉納も4回目を迎え、徐々に定着してきたのかなあと、嬉しく思います。
いずれは、深川八幡祭りの風物詩として語られたいなあと思います。

この能奉納は、私の能活動の原点として、大事にしたいと思います。


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2012年08月13日

銀色の水かけ

神輿連合渡御の名物に、佐賀町のトラック水かけがある。

佐賀町の有志が永代通りにて、毎年トラックにビニールシートをはり、トラックの荷台を一杯の水を神輿にかけるのである。

今でこそ、トラック水かけはあちこちで行われていますが、佐賀町トラックは元祖として最大級の規模を誇ります。

今年は、やたら体格の良いお姉ちゃんが、勢いよく水をぶちまけていました。

ずいぶん威勢の良いネエちゃんだなあと思っていると、周りの人が、そのお姉ちゃんに握手を求めます。

誰かが言いました、「あ、柔道の杉本美香だ」



そうです、ロンドン五輪の柔道78kg超級で、見事銀メダルと獲得した杉本美香選手が、帰国早々駆けつけて、水をかけています。

杉本選手と深川の関係は分かりませんが、帰国するや否や来ているのにビックリ。

銀メダリストのかける水は、銀色に輝いていました。


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天覧 神輿渡御

さて、江戸三大祭と言えば、神田明神の「神田祭」・日枝神社の「山王祭」・富岡八幡宮の「深川八幡祭り」です。

昔から「神輿深川・山車神田・ただっ広いのが山王様」と言われます。
確かに、神輿に関する深川っ子のこだわりは半端じゃないです。

今年、「神輿深川」に新たな勲章が生まれました。

なんと天皇皇后両陛下が、富岡八幡宮にて神輿渡御をご高覧なったのです。


楽しそうに、神輿渡御をご覧になる両陛下。
櫓の上で両陛下とご一緒した江東区長によると、お祭りで神輿渡御をご覧になるのは初めてだそうです。

つまり、今年の深川八幡祭りは、史上初めての「天覧神輿渡御」だった訳です。

深川っ子は、これを自慢し続けるでしょう。

江戸三大祭のうち、神田祭と山王祭は江戸城内に神輿を入れることが許されたため、天下祭と呼ばれています。
江戸城内では、徳川将軍が神輿をご高覧することもあったそうです。

江戸城内に決して入れなかった深川の神輿は、忸怩たる思いだったでしょう。

でも今回の天覧神輿渡御により、深川神輿はさぞかし溜飲が下がる思いだったでしょう。

何と言っても、深川の総本山である富岡八幡宮に両陛下が御幸なさったのですから。
こちらから皇居に出向いたのではなく、天皇皇后両陛下にお越し頂いたことは、とてつもなく名誉なことです。


ちなみに、私は以前、岡山後楽園能舞台で催された、「天覧能」に地謡として出演したことがあります。

天覧能と天覧神輿渡御の両方に参加した人は、間違いなく私しかいません。


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2012年08月12日

神輿連合渡御

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これは、今年の深川八幡祭りを記念して、サッポロビールが出した特別ビールです。
深川かいわいでは、圧倒的な売れ行きです。

さて、今日は、深川八幡祭りのメインイベント。連合渡御の日です。

よく、深川の神輿渡御は距離が長い。なんと8キロも歩く。
と言われますが、それは不正確です。

まず朝、ウチの町内から富岡八幡宮へ神輿を担いで行きます。片道2キロちょっとの道のりです。
富岡八幡宮を出発して、深川を練り歩いて、富岡八幡宮へ帰ってくるまでのルートがよく言われる、8キロの道のりです。
神輿渡御は、富岡八幡宮について終わりではありません。また、担いで2キロちょいの道のりを町内に戻っていきます。
町内に戻ると、また町内渡御です。
狭い町内ですが、隈なく渡ると普通に3~4キロは担ぎます。

合わせると、一日で17キロくらい神輿を担いでいることになります。

連合渡御の朝は、早い。役員の集合時間は、4時45分でした。
しかし、4時45分に行くと、婦人会の方々が作って下さったおにぎりが600個並んでいます。

婦人会の方々は、何時に来ていたのでしょう?

5時過ぎると、一般の担ぎ手も集まり始めます。
八幡様に向かって、町内の御仮屋から神輿の宮出しをしたのは、5時45分でした。

ちなみに、上記の行程を終えて、御仮屋に宮入したのは、夕方の5時半。
丸々12時間かけて、17キロも神輿を担いでいる深川の人たちって・・・・・

本当にバカと言われてもしょうがないくらい、深川の人たちは祭りと神輿が大好きです。

子供たちが通っている保育園では、読み書きは教えないのに、神輿の担ぎ方はきっちり指導します。
その英才教育のおかげで、長男次男は初めての子供神輿にもすんなり入っていけました。

老若男女、祭りが生きがいなのです。

神輿渡御の最中、沿道で遺影を掲げている方を何人か見ました。
そこに収められている写真は、半纏姿の粋なおじいさんです。

きっと、お祭りが大好きだったおじいさんに、神輿を見せてあげようと遺影を掲げているのでしょう。

朝、神輿を出したばかりの薄暗い中で、近所の方が揚げている遺影を見て、いきなりホロリときました。


とにかく朝から、大盛り上がりです。
7時半に富岡八幡宮を出発するころには、天下の永代通りは、担ぎ手で埋め尽くされます。
その数は、2万人と言われます。

ちなみに沿道には50万人の人出です。
この規模に圧倒されます。

神輿連合渡御では、54基の神輿が練り渡ります。
どの神輿も、先頭に町会旗がはためき、花笠の役員たちや金棒を鳴らす娘さんたちが先導します。
そしてその後に、神輿と300人から500人位の担ぎ手が連なっています。

それらを会われると、一つの神輿は100メートルほどの行列となって渡っていきます。
それが54基です。先頭からしんがりは、5キロほどの列になります。
駒番1番の神輿が通り過ぎてから、最後の神輿が通るまで、2時間くらいかかります。

深川八幡祭りの規模の大きさが分かります。

さすが、400年の伝統を誇る深川八幡祭りです。江戸三大祭りに数えられるのも納得です。

前回は、駒番1番の興奮から、神輿にずっと肩入れてはしゃぎまわっていました。
詳細は、下記をご覧ください。

http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2008-08.html#20080817


今回は裏方として楽しみました。
たぶん、この神輿渡御を運営統制していく楽しみは、一般の担ぎ手として参加するよりずっと大きいものでした。

12時間かけて、17キロの神輿渡御。
本当に楽しかったです。

深川の祭は、徹底した統制・規律・結束によって成り立っています。

町会の揃いの半纏でビシッと揃えた担ぎ手たちが、一糸乱れぬ担ぎ方や「わっしょい」の掛け声で、美しくまとまっています。

神輿渡御の間は、お酒とタバコは厳禁です。
神輿はご神体なので、大切に扱います。

同じ衣装で、足並みを揃えて、「わっしょい」の掛け声で練り渡る。
威勢がよく、不様な姿を決して見せないから粋で格好良い。

本祭りで、貯めていた町会費を全部使い切ってしまうのも、江戸っ子らしくてさっぱりしています。

お祭りの魅力に取りつかれたら、もう抜け出せません。


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