2012年07月

2012年07月31日

沖縄から 1

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しまなみ海道薪能の後、友人たちと朝まで大宴会。
二日酔いで辛い思いしながら、またもや飛行機に乗って、来ました。

沖縄。

沖縄と言えばオリオンビール。

沖縄では、「きじむなーフェスタ2012」という演劇祭に参加しました。

沖縄は、伝統芸能の島です。
数々の琉球芸能が伝えられます。

組踊、琉球舞踊、エイサー・・・

この前まで、伝統芸能の島・バリ島の凄さをさんざん書いていましたが、日本にも沖縄という凄い島がありました。

「きじむなーフェスタ2012」は、琉球芸能はもとより、日本中・世界中から様々な伝統芸能や演劇が一堂に会する凄い催しです。

日本からは、能・狂言・歌舞伎・日本舞踊・茶道・生け花などの伝統的なものから、現代アート、前衛演劇など様々な催しが集まっています。
日本以外からも、京劇やバリ舞踊など古典物から、現代演劇・コンテンポラリーダンスなど、もう盛り沢山。

参加している国を見てみると、日本・中国・韓国・フランス・カナダ・インドネシア・ベトナム・ポーランド・スペイン・ロシア・イギリス・南アフリカ・イスラエル・台湾・クロアチア・インド・イラン・デンマーク・エストニア・イタリア・ケニア・オーストラリア・ブラジル・ポーランド・・・・

プログラムから拾ってみると、色んな国の演劇が次々に出てきます。

7月28日から、8月5日までの9日間で、130ほどの演劇・舞踊・ワークショップなどが沖縄市の各地で行われます。

こんな凄いイベントは初めてです。

私たちは、「あしびなー」という小劇場で7月30日・31日と、能を演じました。
私たちの後は、組踊でした。

組踊は、能とともに「ユネスコの世界無形遺産」に登録されている、伝統芸能です。
私は初めて見ました。

普段は、国立劇場おきなわで主に演じられている、古典演劇です。
琉球王国時代の宮廷舞踊だったようです。

沖縄と言えば、何と言ってもエイサーが有名です。
だいたい、南国の舞踊と言えば、陽気なモノが多いので、組踊もエイサーのような賑やかなモノを予想していました。

ところが、とてもしっかりとした歌舞劇でした。

江戸時代、琉球王国は江戸幕府と盛んに交易して、芸能の行き来も盛んだったそうです。
琉球舞踊の芸能者は、江戸で能を学んで帰ったという記録もあるそうです。

組踊のカマエは能とほとんど変わりません。歩き方はきれいなスリ足です。
物語の様式も、能にかなり似ております。

題材も、同じようなモノが多くあります。
今回演じられた「二童敵討」は、能の「放下僧」と酷似しています。

ほかにも、「道成寺」や「羽衣」なども組踊に組み込まれているそうです。
ざっと見た感じ、能の影響が強く感じられます。

ただ、琉球王国は、日本と交易を行うのと同時に中国とも頻繁に行き来していました。
組踊の衣裳やメイクを見ると、中国風です。

手にしている扇などの小道具も、何処となく中国風です。

一般的に琉球文化は、日本文化と中国文化がミックスされた印象がありますが、伝統芸能も日本と中国から影響を受けているのですね。

刺激的な催しでした。


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2012年07月28日

「しまなみ海道薪能」 そしてノスタルジー

今日は、「しまなみ海道薪能」
広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ、瀬戸大橋しまなみ海道の中間点の大三島の大山祇神社にての薪能。

とても良いロケーションでの薪能です。

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向こうに見えるものは、樹齢2600年を誇る御神木。
最高気温35度を記録した猛暑の中、薪能は行われました。

番組は能「玉井」シテ観世喜正。私は前ツレをさせて頂きました。

うだるような暑さの中、意気に感じて頑張りました。
広島県福山市生まれの私にとって、しまなみ海道は地元の舞台です。
張り切りざるを得ません。

実は、張り切っている理由は他にもありました。

小学校時代の同級生が5人も見に来てくれていたのです。

きっかけは、今年の春に行われた同窓会です。
詳細はこちら
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/51819019.html

そこで、チョットこの薪能の事を話たら、何と覚えていてくれたようでした。
突然、同級生から電話があって、

「大三島の能、見に行くから。宜しく」

こう謂われると、もう嬉しくてたまりません。

小学校のときの私って、本当にどうしようもない悪ガキでした。
その悪ガキが、涼しい顔して能を舞っている姿を、小学校時代の同級生に是非見せたかったのです。

終演後、郷里の福山に帰って大宴会。
驚き、感心する同級生の前で、ちょっとイイ気になってしまいました。

4月に続く同窓会。
またもや大盛り上がり。

今回は、少人数だったのでより深い話が飛び出しまくりです。

私も、ずっと封印していた今だから言える恥ずかしいエピソードを、惜しげもなく話してしまいました。

小学校時代の、悪ガキ時代の友人って、とても落ち着いて接することが出来ます。

たまたま近所に住んでいただけの、しがらみも利害関係も無い同い年の友人たち。
これからも大事にしたいと思います。


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2012年07月27日

厄年に思う

私は今年、数えで42歳。つまり、本厄を迎えました。

死に(42)年で厄年とは良く言ったものです。
最近、確かに体調の衰えを強く感じます。

厄年と言えば、厄払いをするのがお決まりとなっています。
周りの同級生たちも、あちこちで厄払いをしたようです。
神社に行って、神主さんに祈祷してもらうってのがパターンですね。

私は、厄払いの祈祷はしませんでした。

ある著名な役者さんが、言っていた言葉が気になっていたからです。

「役者が、ヤクを払ってどうすんだ。ヤクが付かなくなってしまうじゃないか」

江戸時代にさかのぼっても、役者は絶対にヤク払いはしなかったそうです。

私も役者の端くれとして、何となくその言葉が気になり、いわゆる厄払いはしませんでした。

でも、何となくチョット気になります。

そこで私は、自宅にあるものを作ることにしました。
それは、これです。
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自宅舞台「深川能舞台」に神棚を設置しました。

そもそも、能舞台には神棚が付きものでして、私もすぐ作るつもりでいました。

そのうちに。。。。

なんて考えているうちに、舞台を建てて4年が経ちました。

そうだ、役払いをする代わりに、神棚を設置しよう。

そう思いたつと、すぐに大工さんに棚を作ってもらい、富岡八幡宮でお社をお願いしました。
そして、富岡八幡様にお願いして、今日神棚開き(神棚祭り)をしていただきました。

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舞台の上に、祈祷台を設え、神主様に祈祷して頂きました。

思えば、更地だったこの地で地鎮祭をしてはや5年。
今度は、同じ場所で神棚祭りです。

まあ、神棚設置したことで、一般的な厄払いは済ませたかなあ。。。。
これからも役が付きますように。


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2012年07月22日

祝 人間国宝

祝・山本東次郎師、人間国宝。

おめでとうございます。

 

720日付けで、今年の人間国宝の発表が行われました。

能楽界からは、大蔵流狂言方の山本東次郎師が選ばれました。

 

山本東次郎師は、規格正しい芸はもちろん、楽屋内で一門に対する厳格さで知られます。

ただ、山本家一門以外の人には、とても遜って柔らかく接して下さいます。

それこそ、私の様な下っ端にまで気を配って下さる、素晴らしいお方です。

 

東次郎師の人間国宝選定は、本当に嬉しいニュースでした。

 

発表から明けて日曜日、若竹能で、狂言語りの最高峰「那須」を演じて頂きました。

 

まさに、役者が違うという存在感。

圧倒されました。



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2012年07月05日

バリから 4

ソロでのワークショップを終えて、再びバリ島に向かいます。

バリのプラタマン・ケムダ・サラスワティ寺院での最終公演です。

バリ公演 010

会場は、こんな感じ。趣きのあるバリ・ヒンズー寺院です。
正面の平になっているところがステージです。

普段は、様々な伝統舞踊が演じられているようです。
今日も、私たちの公演は18時からでしたが、19時半からは、レゴンダンスの公演が行われる予定でした。

今回は、バリ島芸術祭で上演した「バスールの物語」を再び上演しました。
私は、ツレをさせて頂きました。

こんな素敵な寺院で、舞うなんて心がワクワクします。
日本に帰ったら、「深川バロン倶楽部」のメンバーに、大自慢です。

バリ公演 160

出番の前に、寺院をバックに写真を撮って頂きました。


一緒に作品を作り上げたガムラングループ「スダマニ」の演奏は、相変わらず激しく、私は付いてゆくのに精一杯。

ただ、そんな中、チョット仕掛けをしてみました。

ガムランは、楽譜はなく、旋律も決まっていません。
音楽の構成は、かなり自由度が高く、踊り手の動きに応じて楽曲が変わっていきます。
踊り手は、足や顔の動きで、演奏者に楽曲の変わるきっかけを知らせます。

演奏者は、踊り手の動きを注視して、知らせを受けて、楽曲を見計らっていきます。

その辺は、能のお囃子も基本的には同じです。
お囃子は、シテや地謡の謡や所作を見ながら、見計らって演奏していきます。


私がちょっとだけしっているバリ舞踊「バリスグデ」では、アンセルという足の動きで楽曲を盛り上げていく知らせをします。

そのアンセルという足の動きは、能で言う「ハネ足」に似ています。

試しに舞の中で、「ハネ足」をしてみました。
すると・・・

楽曲は盛り上がってきます。
これは気持ち良い。

調子に乗って、何度も「ハネ足」をしました。
その度に盛り上がっていくガムランの迫力は、聴きごたえありました。

顔の動きも見ているそうなので、「面をキル」という強い顔の動きを何度もやってみました。
やはり盛り上がるガムラン。

いやあ、面白かったです。


終演後、打ち合わせと動きを変えて、「ヌキ足」や「面をキル」を多用したのに、上手く演奏をまとめて、盛り上げて演奏していたことを、ガムランのリーダーに聞いてみました。

「打ち合わせとだいぶん、動きを変えました。混乱しませんでしたか?」

「バリでも、打ち合わせと全く変わっていくことなんて、しょっちゅうですから、大丈夫ですよ。」

さすが、たくましいですね。

何百年の間、バリ島で神事として伝えられてきたガムランの底の厚さを思い知らされました。
感服いたしました。


ただ、もちろん能も負けていません。
能は、世界のどの芸能・音楽とも渡りあえる底力を確信しました。

良い公演だったと思います。

今年も、夏の深川八幡祭りでは、能の奉納をさせて頂きます。
また、「深川バロン倶楽部」として、ガムランの奉納にも参加いたします。

今回の経験を生かして、真摯に奉納したいと思います。

さあ公演後、深夜の飛行機で日本に帰ります。


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