2012年04月

2012年04月27日

ハードな日

今日はたいへんな一日でした。

まず、8時から矢来能楽堂で玄人稽古。
稽古の前に、7時半に集合して打ち合わせです。

稽古を9時に失礼して、市川のぎんがホールへ向かいます。
今晩には恒例の「ぎんが能楽サロン」です。

夜の講座で見せる能装束を運んで、準備と打ち合わせをします。

終わると、車をぎんがホールに置いて電車移動です。

雨の金曜日、しかも連休前なので、道路は大渋滞。電車じゃないと後の予定が間に合いません。

市川から、町田に移動してお稽古です。
たっぷり2時間かかりました。

1時からお稽古をした後、3時からは町田で体験教室です。

4時半に終わったら飛び出して、再びぎんがホールに行きます。

6時半から「ぎんが能楽サロン」
6時半に飛び込んで、すぐスタート。

今日取り上げたのは、6月に「能まつり」で演じる「船弁慶」

話が盛り上がり、9時までみっちり話してしまいました。

その後、片付けてやっと帰宅。

もう10時半です。

一日まともな食事をしていない事に気付きました。

ハードな一日でしたので、自分にご褒美。

近所の鉄板焼き屋で、もんじゃとお好み焼きと共に、ビールをしっかり飲みました。


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2012年04月23日

思わぬ花見

先週の日曜日、4月15日のことでした。

私は、日曜日なのに完全OFF。この日しかないとばかりに、家族でお花見に出かけることにしました。

前日14日の雨で桜はほとんど散ってしまったようです。
ただ、気温の低いところではまだ残っているそうです。

「気温が低いところって、何処だろう」 考えました。
寒いところを考えて、真っ先に思い浮かんだのが、川の土手。

という訳で、家族で隅田公園に出かけました。

ところが・・・・・ 桜は全くありません。
考えてみれば、川沿いって風が強いから真っ先に散ってしまうのでしょうね。

ほとんど散ってしまった桜を眺めながら、隅田川沿いを何となく散歩しました。
すると何だか人だかりが・・・

「早慶レガッタ」をやっていました。

周りの盛り上がりにつられて、とりあえず応援しました。
でも、子供はつまんなそう。

長男が聞いてきます。
「この川、何という川?」

「隅田川っていうんだよ。
 あ、今度あなたがやる、『南無阿弥陀仏』は、ここが舞台だよ」

6月の「能まつり」で、観世喜之先生の能「隅田川」の子方を勤める長男に、説明します。

そこで、思い出しました。ここをもうチョット北へ行けば、隅田川の子方、梅若丸が祀られている「木母寺」があるはずだ。

良い機会なので、花見は中止して木母寺へ参りました。

PICT1476
梅若丸の「梅」の字を、「木」と「母」に分けて「木母寺」です。

行くと、何やら祭礼がおこなわれています。

何をやっているのか聞くと、「今日は、梅若丸の命日ですので、毎年梅若忌を行っています」

「え、だって命日は3月15日ですよね」
能「隅田川」では、そう語られています。

「それは旧暦です。今はひと月遅れで4月15日に行っています」

なんという偶然。
たまたま梅若丸を演じる長男を連れてきたら、梅若丸の法要をやっているなんて。

私も知識として、梅若丸の命日には木母寺で法要が行われていることは知っていました。
そこで、謡の奉納なんかも行われていることも知っていました。
でも、それは3月15日だと思っていました。

これは、「隅田川」の子方が上手く出来るという吉兆であろう。

長男にその旨聞かせると。
「やった!!!」「バンザイ! バンザイ!・・・・」

ひたすら喜んでいるが、きっと意味は分かっていないでしょう。
PICT1474

境内にある梅若塚です。何となく、能「隅田川」の作り物に似ています。
あ、違うか。能が真似したのかな。

長男に、「あの中に入ってじっとしているんだよ」
と言い聞かせたら、

「うん、ガンバル」と張り切っていました。

木母寺にとって、一年で一番大事な日なので、境内は厳粛な雰囲気に包まれています。
能楽関係者も来ていました。
みな、正装で粛々と法要に向かっています。

そんな中、花見の恰好のまま現れて、境内を走り回る場違いな長男と次男。そして追いかける親。

木母寺では、山桜がきれいに咲いていました。

良い花見となりました。


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2012年04月20日

蟻通

a7eabf13.jpg
これは何でしょう。


能「蟻通」に使用する傘です。

能の小道具の内、頭に被る笠はたくさん出てきますが、手に持つ傘は観世流では「蟻通」にしか使用しません。

(他流では「邯鄲」の小書で使用するようです)


その「蟻通」が今日出ました。
国立能楽堂の定期公演で、シテは観世喜之先生でした。

この曲は、作者の世阿弥が「申楽談儀」に

「松明振り、傘さして出づる、肝要ここばかりなり」

と書いている通り、シテが傘をさして松明を腹筋ている姿が様にならないと成り立たない能です。

そういう意味で役者を選ぶ難曲です。

私がこんなことを言うのも何なのですが、今日の師匠の風情は、素晴らしかったです。

橋掛を松明を振りながら歩む雰囲気が、何ともいえない美しさです。
これが、芸の力なのでしょう。


ところで、「蟻通」は今回初めて地謡を謡わさせて頂きました。

なかなか出ない能ですので、今まで手付かずでした。

全くの白紙から覚えるのは、結構しんどかったです。

国立能楽堂の定期公演には、年に1、2回出勤します。

今年は例年より多く、3回お呼びがかかりました。
曲は、「蟻通」と「大社」と「松山天狗」。。。。。

うーん。どれも珍しい曲です。
勉強させて頂きます



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2012年04月13日

されど「羽衣」

今日は「のうのう能」 B師の「羽衣」でした。
私は、なんと地頭をさせていただきました。

地頭をさせて頂く機会など、ほとんどありません。
地頭は基本的には、一番キャリアのある人が勤めるものです。
九皐会に、後輩が一人しかいない私が地頭を勤めることなど本来あり得ないのです。

「のうのう能」では、若手の勉強のため、地頭を序列にこだわらずに任命することがよくあります。
今回も、私に勉強させるため地頭をさせて頂けることになりました。

曲は「羽衣」です。
去年、やはり「のうのう能」で地頭をさせて頂いた「舎利」と違って、お馴染の曲です。

今まで、何回謡ったか分からないくらいです。
たぶん、全ての曲の中で、一番謡った回数が多いのがこの「羽衣」ではないかと思います。

詞章はさすがに完璧に覚えています。
シテの型はもちろん、ワキの謡や型、囃子の手組みや間合いも全て知っています。

直前まで、余裕シャクシャクでした。
「まあ、羽衣だしな。間違えることなんてないだろう」

ところが、昨日の申合の前日から、急に緊張感が押し寄せてきました。
やはり地頭のプレッシャーは凄いものがあります。

久しく、開いたことなど無かった「羽衣」の謡本を取り出して、ずっとにらめっこです。

謡ってみると、何でもないところで間違えたりします。
結構焦りました。
「羽衣」謡って間違えたら、何言われるか分かったもんじゃありません。

かなり緊張して、地頭を勤めました。
たかが「羽衣」と言えど、地頭は格別です。

それに「羽衣」って、お馴染の曲だけど、実は構成は難しい曲であることが分かりました。
たぶん、地頭やらなかったら気が付かないのでしょう。

そういったことも含めて、良い勉強になりました。


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2012年04月08日

28年ぶり!!!

先週の土曜日、郷里の広島県福山市にて小学校時代の同窓会がありました。

小学校のクラスの同窓会って、とっても珍しいようです。
周りに聞いても、行ったことあるという人は稀です。

特に私の通っていた小学校は、全員が同じ学区の中学に通うことになっているので、小学校の友達と中学の友達はほとんど同じという状況です。
普通に考えたら、同窓会やるとしたら中学の同窓会になるんじゃあないでしょうか。

事実、中学の同窓会は何回か行われていたらしいです。

「らしい」というのは、私はその皆が進む公立中学に行かず、中高一貫の国立校に通っていたからです。
だから、私は小学校卒業以来、ほとんどの同級生と音信不通でした。

今回、わざわざ小学校の同窓会が行われたのは、当時担任だった先生が、この春に定年を迎えるので、そのお祝いのためでした。

最初、その連絡を受けた時は、ビックリしました。

「え??? 小学校の同窓会?」

日程を見ると、ちょうど仕事のない日です。
でも、前後の金曜日と日曜日は仕事があるので、超過密スケジュールで帰省しなければなりません。

でも、こんな機会はまず無いので、参加することにしました。

殆どの人が小学校卒業以来、28年ぶりに会う面々です。

会場に行く道すがら、クラスに誰がいたか思い出してみます・・・・
4~5人思い浮かぶだけです。

うーんんんん。行ってもしょうがないかなあ。。。。。


会場に入ると、既に3人の先客がいます。

「よう!! タカシじゃないか。久々じゃの」

3人に声かけられました。そのうち、一人だけはすぐ分かりました。
「おう、、、 @@チャンじゃないか、全然変わってないな」
「・・・・・・・・・あとは、、、、  ゴメン、誰だっけ」

全く思い出せない。

「何言うとんなら、##じゃ」
「太ったから分からんか、$$だぜ。忘れたんか」

名前を聞くと、あら不思議。小学校の時の顔立ちが、瞬時に脳裏によぎります。
そしてその残像を目の前の面々に被せてみると・・・・

目の前にいるただのオッサンが、小学生の顔になってきます。

きっと、同窓会会場だけに起こる奇跡でしょう。街ですれ違っても、きっと全く認識せずにすれ違う大人たちが、瞬時に仲の良い同級生に変わります。

一度認識すると、もう忘れない。
そいつとの思い出話が次々と出てきます。
よくもまあ、そんなに昔のことを覚えているもんだと、言っている自分があきれるほど、あれやこれや思い出してきます。

その後現れる連中とも、まあまた同じやりとりをして、大盛り上がり。

男も女も、当時の呼び方で呼び合います。
小学生のころって、圧倒的に苗字より、名前で呼び合いますよねえ。
いい年したオジサンオバサンが、名前呼び捨てやチャンづけで話している光景って、ステキです。

私は、同じクラスに桑田性の人がいたので、一貫して「タカシ」と、名前呼び捨てで呼ばれていました。
それこそ先生からも。
大人となった今では、名前呼び捨てで呼ばれることなんてまずないので、何だか嬉しかったです。

いやあ、面白かったです。


集まった人数は、クラスの約半数。
卒業後28年たって初めて開いた同窓会にしては、異例の人数ではないでしょうか。

その一人一人と、懐かしく昔話や近況報告をします。

私も今まで、高校や大学の同窓会には何度も顔出しています。
どれも、楽しかったのですが、今回の楽しさは格別でした。

何といっても、メンバー構成がバラエティ過ぎです。

高校は、地域では一応進学校と言われる学校に通っていたので、同級生は概ね良い大学に行って、名の通った企業に通っている人たちばかりです。

大学の同級生も、まあ似たようなモンです。

一般的に、高校や大学って、同質な人たちがある程度集まる場なんだなあと実感しました。
同窓会でも、その居心地の良い楽しさがあります。

小学校は、全然違います。
共通点は、学区に住んでいるというだけ。

その後進んだ道は本当にそれぞれです。
だから、誰の話も本当に面白くてたまりませんでした。

同窓会だから、参加者は当然同い年。
でも、それまでたどってきた道のりと経験は、千差万別。

晩婚化の進む世の中ですので、当然独身貴族はいると思っていました。

でも、40歳で孫がいる奴がいるとは、思いもよらなかったです。

「孫!!! オマエ幾つで結婚したんよ」
「20歳じゃなあ」
「まあ、そうじゃろうなあ。オマエ、モテたもんなあ。それで、子供は何歳なん? 息子? 娘?」
「18で、息子よ」

「そうか、それはおめでとう。孫はかわいいじゃろう」
「いや、まだ見とらん。ワシはあいつを認めてないけえ」
「え、お嫁さんってそんなにひどい人なん? まあ、エエが。許いてやれや」
「ちゃう。息子のことじゃ。あんな奴、ワシの子供とも思おとらん」

まあ、各家庭いろいろ事情があるんでしょうねえ。でも、

「実は、明日初めてウチに来ることになっとるんよ」
そう言う奴の顔は、チョットほころんでいました。


とにかく、28年ぶりです。聞く話がどれも新鮮で、懐かしくて・・・

まあ、もっとも全参加者の中で一番変わった経歴の持ち主は、能楽師になった私でしたけどね。
間違いなく、一番驚かせてました。

後半は、「実は、誰々が好きだった」とかいう甘酸っぱい話から、
「あの時、お前がこう言った言葉、忘れんで。すげえ、腹たった」なんていう物騒な話までてんこ盛り。
朝まで盛り上がって、始発の飛行機に乗って、東京に帰って、九皐会。

楽しいひとときでした。


凄い仲良かった友達に、こう言われました。
「いやあ、タカシにこうやってお酒をつぐ日がくるなんてなあ」

友達の家にあったウィスキーをこっそり飲んで、
「こんなの何が美味しいんだよ」
なんて言って、プロレスごっこしてた僕たち。

日が暮れると
「やべえ、ご飯までに帰らんと、カアチャンに怒られる」
なんて言いながら走って家に帰っていた僕たち。

そいつらと、お酒を酌み交わして、朝まで飲んでいるなんて。
人生って、楽しいなあと思いました。


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