2011年11月

2011年11月24日

もう一つの茉莉会ドラマ

昨日の「茉莉会大会」で私が一番気を揉んだのは、私の長男の舞台でした。

長男は、5歳半になります。

仕舞は何度かお舞台を勤めているので、それなりに出来るようになりました。

「養老」の仕舞を落ち着いて勤めることが出来ました。


今回初めて素謡のお役を付けました。

「隅田川」の子方です。

来年6月に観世喜之先生のシテで能「隅田川」の子方を勤めますので、その稽古のためにさせてみました。


謡のお稽古は、半年前から始めました。

最初は本当に蚊の鳴くような声。


最初に私が見本を見せます。

次に、一緒に謡います・・・・

すると、全く声が聞こえません。


「どうした、もっと大きな声で謡いなさい」

すると

「お父さんが、そんなに大きな声出すから、ビックリして声が出ない」

などと言います。

「それじゃあ、お父さんは小さな声で謡うから、大きな声で謡ってみなさい」

でもやはり、蚊の鳴くような声。

「全然、声が出てないじゃないか」

少し声を荒げると

「うーん、ボクは大きな声より小さな声の方が好きだなあ」

・・・・ガクッ


こんな感じです。

ちっとも声が出ませんでした。


それでも度々謡わせているうちに、少しずつ大きな声が出るようになってきました。

決め手は、この一言だったようです。


「いいか、本番で大きな声で謡えたら、大きなオモチャを買ってあげる。でも、小さな声だったら、小さなオモチャだぞ」


それ以来、ガゼン張りきってお稽古するようになりました。


夏、飼っていたカブトムシが死ぬと、一緒に近くの公園に埋めに行きました。

そして線香を立て、簡単に弔いをしました。

そこで、父子で「隅田川」の謡を謡います。


「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏・・・」


「隅田川」の子方の謡は念仏なのです。

「どうして、南無阿弥陀仏って謡うの?」

長男は聞きます。

「この謡は、死んだ人が天国に行けるように願って謡うものなんだよ」


長男は納得したのか、目をつぶって懸命に「南無阿弥陀仏」を唱えていました。


今年はお弟子様などからたくさんカブトムシを頂き、全部で14匹も飼っていました。

それが死ぬたびに、公園に埋めに行きました。

昼間、長男は保育園に行っているし、私もほとんど家にはいないので、埋めに行くのは朝です。


その公園は隣の団地の方が駅へ行くための抜け道になっているので、朝方は通勤通学の人々がひっきりなしに往来します。


そんな中連日のように、手を合わせて「南無阿弥陀仏・・・」と謡っている父子。。。。


かなり怪しかったと思われます。



その甲斐あってか、当日は落ち着いて大きな声で謡えました。

驚いたのは、自分が謡っていないときも、キチンと正座して動かずに座っていたことです。


お稽古では、どうしても動いてしまいました。

「まあ、5歳児がこんなに長くジッとしていられないよなあ」

私は、あきらめていました。


ところが当日は身じろぎもしない。

5歳児なりに、お稽古とは違う舞台の雰囲気に緊張するようです。


子供のお稽古は、たいへんです。

でも、舞台に立ってご褒美を受け取って、満面の笑みを浮かべる子供を見ることは親にとってこの上ないことです。


また、一緒にお稽古に励みたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2011年11月23日

茉莉会 大会

今日は、私の社中の会「茉莉会」の記念大会。矢来能楽堂で華々しく開催しました。


2年前の「5周年記念大会」以来、2年ぶりの大会です。

今回は、前回にも増して盛り沢山の番組となりました。


舞囃子「吉野天人」「杜若」「紅葉狩」「巻絹」「松風」「猩々」

素謡(習物)「松風」「隅田川」「藤戸」

素謡(平物)「経正」「高砂」「羽衣」「融」「竹生島」

その他、仕舞・独吟・連吟


10時から始まって、終わったのが午後645分。長丁場でした。

たくさんのお客様のご来場を賜り、大盛況のうちに大会を終えることが出来ました。


私は会主として、舞台に出ずっぱり。

やはり、お弟子様の出来が気になります。


お弟子様の大半は、初心の方々です。舞囃子や習物も初めての方ばかり。

当然、舞囃子や習物を教える私も、初めての事だらけです。


長い人は1年がかりで稽古を行って、この日を迎えました。

本当に大変だったのは、今日に至るまでです。


沼津教室でお稽古していらっしゃる「隅田川」のシテをなさった方は、10月に圧迫骨折なさいました。

以来3カ月も入院なさっています。

でも、今日の茉莉会大会には是非出たいという思いで、懸命にリハビリなさいました。

お稽古は、病院から通ってきました。

当日は、病院から外出許可を得ての参加です。三島からお嬢様が車で送り迎えをして下さいました。

東京の道を良く知らないお嬢様は、わざわざ矢来能楽堂まで下見をなさったそうです。


「藤戸」のシテをなさった方は、2日前に救急車で病院に運ばれました。

本人曰く、口以外身体の全てが悪いとおっしゃっています。

ここ4年位、そう言いながらも何とかお稽古は続けていらっしゃいます。

でも、今回はさすがに心配しました。

当日は、やはりお嬢様が付き添って、元気にいらっしゃいました。


独吟「東北」をなさった方は、8月に転んで頭をうって一時期危ない状態でした。

それ以来お稽古もお休みでしたので、今回の大会は残念ながら不参加だろうと思っていました。

そのつもりで番組を構成して、デザイナーさんに提出しました。

9月後半に、お稽古に再びいらっしゃったその方は、自分の名前がない仮番組をみて大変寂しがりました。

そして、出演したいとおっしゃいました。

最終校正の前だったので、デザイナーさんにお願いして、急遽番組を追加しました。

当日は、元気よく活き活きと謡っていらっしゃいました。


こんな具合に、色々なドラマがありました。参加者の数だけドラマがあると言えます。


特に紹介した3名は、いずれも大病をしながら舞台に出るために一生懸命リハビリや治療に励んだ方々です。

間違いなく、舞台が励みと生きがいになっています。


そういった気持に答え、真剣にお稽古したいと思います。

何だか、私が元気づけられ、励まされました。


なにはともあれ、出演者の皆様、お疲れ様でした。
無事に終了して、一番ホッとしているのは、間違いなく私です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2011年11月18日

地頭やりました

今日は「のうのう能」。演目は「舎利」で、私はなんと地頭の大役をさせて頂きました。


地頭とは、地謡のリーダーです。通常は、当日出勤の能楽師のうち、一番序列の高い者が勤めます。

観世九皐会門下の中で、下から2番目の序列の私は、今の段階では絶対に勤めることのない役です。

今回は、私の勉強のため特別に地頭をさせて頂くことになりました。


有料の玄人会で能の地頭を勤めるのは、2年前ののうのう能「安達原」に続いて2度目です。

地頭をすると、自分の力の無さを痛感いたします。


前回の「安達原」は、良く上演される演目なので、謡い慣れていることもあって、滞りなく終わった印象でした。

今回の「舎利」は、どちらかと言うとあまり上演されない演目です。特にクセは省略されることが多く、ほとんど謡ったことはありません。


このひと月ほど、ずっと「舎利」の謡本をカバンに忍ばせて、時間があればにらめっこ。

もちろん、日々色んな演目を並行して覚えていますので、なかなか頭に入っていきません。


地頭を勤めるためには、地謡の詞章を完璧に覚えるのはまずは最低条件。その上でお囃子との間合いも意識しながら、地謡を引っ張っていく腕力も必要となってきます。

今回、お囃子の手組みもだいたい頭に入れ、シテやツレの型も勉強して臨みました。


前日の申合。完璧に覚えているつもりでした。

でも、地謡というのは自分一人で謡うのではありません。

まわりの地謡の方やお囃子とせめぎ合いながら謡わなければなりません。


「舎利」の中入り前の地謡は、極めて早い速度で謡いながら、かつややこしい拍子当たりという厄介な箇所なのですが、そこでまんまと「間」を外してしまいました。

外した瞬間、「しまった!!」と思ったのですが、私の力では制御することが出来ませんでした。

結局、お囃子方に上手く合わせて頂いて、事なきを得ました。


ただ、一番やっかいだと思っていたクセは、無事に終わりました。
大きな不安と、少しの自信を手つかんだ申合でした。

申合から当日までは、何度も何度も謡いました。


「これなら大丈夫」という自信は全然生まれませんでしたが、たくさん謡ったので、気持ちは落ち着いて当日を迎えました。



本番では、文句や間合いを間違えることはありませんでした。

でも、それだけだったのかなと反省します。

魅力的な地謡を謡えるよう、日々研鑽を積みたいと思います。


精神的には、シテを演じる時より何倍も疲れた一日でした。



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2011年11月12日

古稀に舞う

今日は、津村禮次郎師・杉澤陽子師の古稀を記念して、「古稀に舞う -ふたり会」という催しが行われました。

番組は、会主の二人が、能「羽衣」杉澤陽子 能「恋重荷」

狂言が、「箕被」山本東次郎
仕舞が、「老松」足立禮子 「砧之段」観世喜之 「実盛キリ」関根祥六

という豪華版。

会主の二人は、70歳とは思えない元気一杯の姿で能を舞っていました。

能とは、おおよそ10キロほどの能装束を身に着け、能面によって限られた視界で演じなければならない厳しい演劇です。
一番の能はだいたい1時間から2時間。その間能役者は集中力を切らすことなく、自分に対峙して能に取り組みます。

気力と体力の消耗する過酷な演劇です。

70歳でそれを演じ続けるお二人には心の底から感服いたします。

私は、70歳になった時、能を舞えているでしょうか?
うーん、どうも自信がありません。

ただ、今日の出演者をみると、
観世喜之師76歳、関根祥六師81歳、足立禮子師86歳、山本東次郎師74歳。。。。

みんな舞台で堂々と演じています。

今回初めてお舞台をご一緒させて頂いた、観世会の重鎮・関根祥六師の溌剌とした舞ぶりと、楽屋での威厳正しきたたずまいには圧倒されました。

凄いなあ。。。

楽屋で、ふとおっしゃいました。
「若い頃なんてねえ、80歳なんて、とんでもないおじいさんだと思っていた。
 でもねえ、自分が80になってみると、けっこう元気なんだよ」

これは名言です。


ともかく、能の芸の神髄を考えさせられました。

普通、古稀のお祝い会って、古来稀な年齢まで長生きした人の長寿を称える会のはずなのですが・・・

古稀の方が最年少の催しって、なんだか凄いですね。

古稀にして先人に教えを乞う。
まさに、世阿弥さんの言う「老後の初心」


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2011年11月06日

素謡「道成寺」

今日は、兄弟子の素人会のお手伝い。

さまざまな演目が行われましたが、今日のメーンは素謡「道成寺」でした。

大曲の「道成寺」です。素謡で謡われることも稀です。
私はなんと、ワキツレのお役を頂戴いたしました。

「道成寺」のワキツレは、謡う文句は少ないです。
でも、何といっても「道成寺」です。

とてつもない緊張感が楽屋に漂います。

ワキツレは素謡の時、一番最初に舞台に上がります。
その時、何だかブルっと震えました。

まるで、能舞台の結界が張られているような不思議な気分でした。

「道成寺」の能が始まる時、橋掛りに後見が出て、火打石でお清めの切り火をたきます。
やはり、「道成寺」には魔物が潜んでいるのでしょうか。


kuwata_takashi at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)