2012年04月27日

ハードな日

今日はたいへんな一日でした。

まず、8時から矢来能楽堂で玄人稽古。
稽古の前に、7時半に集合して打ち合わせです。

稽古を9時に失礼して、市川のぎんがホールへ向かいます。
今晩には恒例の「ぎんが能楽サロン」です。

夜の講座で見せる能装束を運んで、準備と打ち合わせをします。

終わると、車をぎんがホールに置いて電車移動です。

雨の金曜日、しかも連休前なので、道路は大渋滞。電車じゃないと後の予定が間に合いません。

市川から、町田に移動してお稽古です。
たっぷり2時間かかりました。

1時からお稽古をした後、3時からは町田で体験教室です。

4時半に終わったら飛び出して、再びぎんがホールに行きます。

6時半から「ぎんが能楽サロン」
6時半に飛び込んで、すぐスタート。

今日取り上げたのは、6月に「能まつり」で演じる「船弁慶」

話が盛り上がり、9時までみっちり話してしまいました。

その後、片付けてやっと帰宅。

もう10時半です。

一日まともな食事をしていない事に気付きました。

ハードな一日でしたので、自分にご褒美。

近所の鉄板焼き屋で、もんじゃとお好み焼きと共に、ビールをしっかり飲みました。


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2012年04月23日

思わぬ花見

先週の日曜日、4月15日のことでした。

私は、日曜日なのに完全OFF。この日しかないとばかりに、家族でお花見に出かけることにしました。

前日14日の雨で桜はほとんど散ってしまったようです。
ただ、気温の低いところではまだ残っているそうです。

「気温が低いところって、何処だろう」 考えました。
寒いところを考えて、真っ先に思い浮かんだのが、川の土手。

という訳で、家族で隅田公園に出かけました。

ところが・・・・・ 桜は全くありません。
考えてみれば、川沿いって風が強いから真っ先に散ってしまうのでしょうね。

ほとんど散ってしまった桜を眺めながら、隅田川沿いを何となく散歩しました。
すると何だか人だかりが・・・

「早慶レガッタ」をやっていました。

周りの盛り上がりにつられて、とりあえず応援しました。
でも、子供はつまんなそう。

長男が聞いてきます。
「この川、何という川?」

「隅田川っていうんだよ。
 あ、今度あなたがやる、『南無阿弥陀仏』は、ここが舞台だよ」

6月の「能まつり」で、観世喜之先生の能「隅田川」の子方を勤める長男に、説明します。

そこで、思い出しました。ここをもうチョット北へ行けば、隅田川の子方、梅若丸が祀られている「木母寺」があるはずだ。

良い機会なので、花見は中止して木母寺へ参りました。

PICT1476
梅若丸の「梅」の字を、「木」と「母」に分けて「木母寺」です。

行くと、何やら祭礼がおこなわれています。

何をやっているのか聞くと、「今日は、梅若丸の命日ですので、毎年梅若忌を行っています」

「え、だって命日は3月15日ですよね」
能「隅田川」では、そう語られています。

「それは旧暦です。今はひと月遅れで4月15日に行っています」

なんという偶然。
たまたま梅若丸を演じる長男を連れてきたら、梅若丸の法要をやっているなんて。

私も知識として、梅若丸の命日には木母寺で法要が行われていることは知っていました。
そこで、謡の奉納なんかも行われていることも知っていました。
でも、それは3月15日だと思っていました。

これは、「隅田川」の子方が上手く出来るという吉兆であろう。

長男にその旨聞かせると。
「やった!!!」「バンザイ! バンザイ!・・・・」

ひたすら喜んでいるが、きっと意味は分かっていないでしょう。
PICT1474

境内にある梅若塚です。何となく、能「隅田川」の作り物に似ています。
あ、違うか。能が真似したのかな。

長男に、「あの中に入ってじっとしているんだよ」
と言い聞かせたら、

「うん、ガンバル」と張り切っていました。

木母寺にとって、一年で一番大事な日なので、境内は厳粛な雰囲気に包まれています。
能楽関係者も来ていました。
みな、正装で粛々と法要に向かっています。

そんな中、花見の恰好のまま現れて、境内を走り回る場違いな長男と次男。そして追いかける親。

木母寺では、山桜がきれいに咲いていました。

良い花見となりました。


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2012年04月20日

蟻通

a7eabf13.jpg
これは何でしょう。


能「蟻通」に使用する傘です。

能の小道具の内、頭に被る笠はたくさん出てきますが、手に持つ傘は観世流では「蟻通」にしか使用しません。

(他流では「邯鄲」の小書で使用するようです)


その「蟻通」が今日出ました。
国立能楽堂の定期公演で、シテは観世喜之先生でした。

この曲は、作者の世阿弥が「申楽談儀」に

「松明振り、傘さして出づる、肝要ここばかりなり」

と書いている通り、シテが傘をさして松明を腹筋ている姿が様にならないと成り立たない能です。

そういう意味で役者を選ぶ難曲です。

私がこんなことを言うのも何なのですが、今日の師匠の風情は、素晴らしかったです。

橋掛を松明を振りながら歩む雰囲気が、何ともいえない美しさです。
これが、芸の力なのでしょう。


ところで、「蟻通」は今回初めて地謡を謡わさせて頂きました。

なかなか出ない能ですので、今まで手付かずでした。

全くの白紙から覚えるのは、結構しんどかったです。

国立能楽堂の定期公演には、年に1、2回出勤します。

今年は例年より多く、3回お呼びがかかりました。
曲は、「蟻通」と「大社」と「松山天狗」。。。。。

うーん。どれも珍しい曲です。
勉強させて頂きます



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2012年04月13日

されど「羽衣」

今日は「のうのう能」 B師の「羽衣」でした。
私は、なんと地頭をさせていただきました。

地頭をさせて頂く機会など、ほとんどありません。
地頭は基本的には、一番キャリアのある人が勤めるものです。
九皐会に、後輩が一人しかいない私が地頭を勤めることなど本来あり得ないのです。

「のうのう能」では、若手の勉強のため、地頭を序列にこだわらずに任命することがよくあります。
今回も、私に勉強させるため地頭をさせて頂けることになりました。

曲は「羽衣」です。
去年、やはり「のうのう能」で地頭をさせて頂いた「舎利」と違って、お馴染の曲です。

今まで、何回謡ったか分からないくらいです。
たぶん、全ての曲の中で、一番謡った回数が多いのがこの「羽衣」ではないかと思います。

詞章はさすがに完璧に覚えています。
シテの型はもちろん、ワキの謡や型、囃子の手組みや間合いも全て知っています。

直前まで、余裕シャクシャクでした。
「まあ、羽衣だしな。間違えることなんてないだろう」

ところが、昨日の申合の前日から、急に緊張感が押し寄せてきました。
やはり地頭のプレッシャーは凄いものがあります。

久しく、開いたことなど無かった「羽衣」の謡本を取り出して、ずっとにらめっこです。

謡ってみると、何でもないところで間違えたりします。
結構焦りました。
「羽衣」謡って間違えたら、何言われるか分かったもんじゃありません。

かなり緊張して、地頭を勤めました。
たかが「羽衣」と言えど、地頭は格別です。

それに「羽衣」って、お馴染の曲だけど、実は構成は難しい曲であることが分かりました。
たぶん、地頭やらなかったら気が付かないのでしょう。

そういったことも含めて、良い勉強になりました。


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2012年04月08日

28年ぶり!!!

先週の土曜日、郷里の広島県福山市にて小学校時代の同窓会がありました。

小学校のクラスの同窓会って、とっても珍しいようです。
周りに聞いても、行ったことあるという人は稀です。

特に私の通っていた小学校は、全員が同じ学区の中学に通うことになっているので、小学校の友達と中学の友達はほとんど同じという状況です。
普通に考えたら、同窓会やるとしたら中学の同窓会になるんじゃあないでしょうか。

事実、中学の同窓会は何回か行われていたらしいです。

「らしい」というのは、私はその皆が進む公立中学に行かず、中高一貫の国立校に通っていたからです。
だから、私は小学校卒業以来、ほとんどの同級生と音信不通でした。

今回、わざわざ小学校の同窓会が行われたのは、当時担任だった先生が、この春に定年を迎えるので、そのお祝いのためでした。

最初、その連絡を受けた時は、ビックリしました。

「え??? 小学校の同窓会?」

日程を見ると、ちょうど仕事のない日です。
でも、前後の金曜日と日曜日は仕事があるので、超過密スケジュールで帰省しなければなりません。

でも、こんな機会はまず無いので、参加することにしました。

殆どの人が小学校卒業以来、28年ぶりに会う面々です。

会場に行く道すがら、クラスに誰がいたか思い出してみます・・・・
4~5人思い浮かぶだけです。

うーんんんん。行ってもしょうがないかなあ。。。。。


会場に入ると、既に3人の先客がいます。

「よう!! タカシじゃないか。久々じゃの」

3人に声かけられました。そのうち、一人だけはすぐ分かりました。
「おう、、、 @@チャンじゃないか、全然変わってないな」
「・・・・・・・・・あとは、、、、  ゴメン、誰だっけ」

全く思い出せない。

「何言うとんなら、##じゃ」
「太ったから分からんか、$$だぜ。忘れたんか」

名前を聞くと、あら不思議。小学校の時の顔立ちが、瞬時に脳裏によぎります。
そしてその残像を目の前の面々に被せてみると・・・・

目の前にいるただのオッサンが、小学生の顔になってきます。

きっと、同窓会会場だけに起こる奇跡でしょう。街ですれ違っても、きっと全く認識せずにすれ違う大人たちが、瞬時に仲の良い同級生に変わります。

一度認識すると、もう忘れない。
そいつとの思い出話が次々と出てきます。
よくもまあ、そんなに昔のことを覚えているもんだと、言っている自分があきれるほど、あれやこれや思い出してきます。

その後現れる連中とも、まあまた同じやりとりをして、大盛り上がり。

男も女も、当時の呼び方で呼び合います。
小学生のころって、圧倒的に苗字より、名前で呼び合いますよねえ。
いい年したオジサンオバサンが、名前呼び捨てやチャンづけで話している光景って、ステキです。

私は、同じクラスに桑田性の人がいたので、一貫して「タカシ」と、名前呼び捨てで呼ばれていました。
それこそ先生からも。
大人となった今では、名前呼び捨てで呼ばれることなんてまずないので、何だか嬉しかったです。

いやあ、面白かったです。


集まった人数は、クラスの約半数。
卒業後28年たって初めて開いた同窓会にしては、異例の人数ではないでしょうか。

その一人一人と、懐かしく昔話や近況報告をします。

私も今まで、高校や大学の同窓会には何度も顔出しています。
どれも、楽しかったのですが、今回の楽しさは格別でした。

何といっても、メンバー構成がバラエティ過ぎです。

高校は、地域では一応進学校と言われる学校に通っていたので、同級生は概ね良い大学に行って、名の通った企業に通っている人たちばかりです。

大学の同級生も、まあ似たようなモンです。

一般的に、高校や大学って、同質な人たちがある程度集まる場なんだなあと実感しました。
同窓会でも、その居心地の良い楽しさがあります。

小学校は、全然違います。
共通点は、学区に住んでいるというだけ。

その後進んだ道は本当にそれぞれです。
だから、誰の話も本当に面白くてたまりませんでした。

同窓会だから、参加者は当然同い年。
でも、それまでたどってきた道のりと経験は、千差万別。

晩婚化の進む世の中ですので、当然独身貴族はいると思っていました。

でも、40歳で孫がいる奴がいるとは、思いもよらなかったです。

「孫!!! オマエ幾つで結婚したんよ」
「20歳じゃなあ」
「まあ、そうじゃろうなあ。オマエ、モテたもんなあ。それで、子供は何歳なん? 息子? 娘?」
「18で、息子よ」

「そうか、それはおめでとう。孫はかわいいじゃろう」
「いや、まだ見とらん。ワシはあいつを認めてないけえ」
「え、お嫁さんってそんなにひどい人なん? まあ、エエが。許いてやれや」
「ちゃう。息子のことじゃ。あんな奴、ワシの子供とも思おとらん」

まあ、各家庭いろいろ事情があるんでしょうねえ。でも、

「実は、明日初めてウチに来ることになっとるんよ」
そう言う奴の顔は、チョットほころんでいました。


とにかく、28年ぶりです。聞く話がどれも新鮮で、懐かしくて・・・

まあ、もっとも全参加者の中で一番変わった経歴の持ち主は、能楽師になった私でしたけどね。
間違いなく、一番驚かせてました。

後半は、「実は、誰々が好きだった」とかいう甘酸っぱい話から、
「あの時、お前がこう言った言葉、忘れんで。すげえ、腹たった」なんていう物騒な話までてんこ盛り。
朝まで盛り上がって、始発の飛行機に乗って、東京に帰って、九皐会。

楽しいひとときでした。


凄い仲良かった友達に、こう言われました。
「いやあ、タカシにこうやってお酒をつぐ日がくるなんてなあ」

友達の家にあったウィスキーをこっそり飲んで、
「こんなの何が美味しいんだよ」
なんて言って、プロレスごっこしてた僕たち。

日が暮れると
「やべえ、ご飯までに帰らんと、カアチャンに怒られる」
なんて言いながら走って家に帰っていた僕たち。

そいつらと、お酒を酌み交わして、朝まで飲んでいるなんて。
人生って、楽しいなあと思いました。


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2012年04月01日

浅間大社 能奉納 終了

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静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社の「桜花祭」にて、能奉納をさせていただきました。
能奉納といっても、茉莉会富士宮社中の方々の発表が中心です。

午後は台風並みの大嵐でどうなることかと思いましたが、奉納が始まる夕方には嘘のように晴れ渡り、爽やかな陽気です。

全く咲いていないと思われた桜ですが、名前は分からないのですが早咲きの桜が7分咲きほどといったところ。
さすが、桜が御神木の神社です。ありとあらゆる桜がありました。

本来は、その桜の下に特設舞台を設える予定だったのですが、午後の荒天のため、神社本殿の中での奉納となりました。

去年の、「富岡八幡宮」の奉納でもそうでしたが、本殿の中での奉納はとても厳粛な気持ちになります。
荒天のため、他の奉納行事がことごとく中止となってしまったので、お客様はすこし少なかったのが残念ではあります。

お祭りの奉納とは、芸能の原始の姿です。
それを勤めるのは、われら芸能者にとって、欠かすことの出来ない大事なことです。

せっかくこういう機会を与えられたことに感謝し、来年以降も心して勤めたいと思います。



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2012年03月30日

富士山本宮 浅間大社 能奉納

明日3月31日、富士山本宮 浅間大社 で能奉納をさせていただくことになっています。

詳しくは下記サイトをご参照下さい。

http://fuji-hongu.or.jp/sengen/festivals/04_09.html#02

静岡県富士宮市にある、富士山本宮浅間大社は、富士山を鎮めるために紀元前27年に祀られた山霊をきげんとする、全国でも有数の由緒ある神社です。富士山の頂上は、この神社の所有する土地であることも知られています。

木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)をご祭神とすることから、この神社では桜が御神木とされ、境内は静岡県有数の桜の名所となっています。

したがって、桜の季節には桜花祭というお祭りが行われ、奉納行事もなされます。

その一環として、能奉納をさせて頂けることになりました。

「芸能の原点は、祭りにあり」
これは、私の敬愛する柳田國男が「日本の祭」という著書のなかで述べていた言葉です。

祭りの奉納こそ、芸能の原始の姿なのです。

地元の富岡八幡宮に続いて、お祭りで奉納させて頂ける事を嬉しく思います。


ところが、「桜花祭」の名前からは残念なのですが、まだ全然桜は咲いていません。
まあ、花は舞台の上にあるということで・・・

ご興味の方、是非いらして下さい。
神社の奉納ですので、入場無料です。

境内に特設舞台を設えて、奉納をする予定です。
雨天の時は、神社の本殿で行います。

天気が、ちょっと心配です。


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2012年03月27日

若竹会「融」

若手の稽古能・若竹会で「融」をさせて頂きました。

去年、富岡八幡宮の能奉納で後場だけ演じさせていただきました。
そうすると、何だか消化不良なのです。

やはり能は、前後通して演じてやっと落ち着きます。
自分で希望して、「融」させていただきました。

因みに去年も、一昨年奉納で後場だけ演じた「天鼓」を、若竹会で前後通してさせていただきました。
なんだかパターンになっていますね。


だいたい能は、後場より前場が難しいものです。
「融」の後は、舞囃子でも良く出ます。

とても良い舞です。
難しいのですが、基本的な舞の技術で対応出来ます。

前場はそうはいきません。
あまり動きは無いのですが、世界観の構築が一筋縄ではいきません。

とくに「融」は謡が質量とものボリューム満点。
謡に課題のある私には、やりがいのある曲です。

でも、今回は・・・

とても反省の残るものでした。
散々の出来でした。

ちょっとショックでしばらく立ち直れないかなあ。。。。


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2012年03月24日

鎌謡会 祝50回

明治大学能楽研究部観世会のOB有志が、鎌倉にある元OB会長の舘へ集まって開催されている謡会、「鎌謡会」が、めでたく50回目を迎えました。

隔月でやっていますから、年6回開催。8年以上も続けられています。

メンバーは、還暦を過ぎたお歴々ばかり。本当に楽しそうに謡っています。

私は、やはり明大OBのS氏と交互に、お手伝いに伺っています。
だから、25回参加させていただいております。

卒業して、40年以上たっても謡を謡うために集まれる仲間って、素晴らしいなあと思います。

終了後はお決まりの大宴会。
謡を謡った後のビールって、なんでこんなに美味しいのでしょうね。


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2012年03月20日

ビバ!!東京スカイツリー

先日の記事で、東京スカイツリー駅の事を残念だと書きました。
でも、私は東京スカイツリーにはとっても愛着を持っています。

私の住む江東区からは、ほぼどこにいてもスカイツリーは見えます。
建物の陰で見えないところもありますが、チョット角度を変えればほぼ全域で拝むことが出来ます。

我が家からもバッチリ見えます。

お膝元の墨田区や台東区などではもっと良く見えるでしょう。
多分、東京の東部地域ではどこからも見えると思います。

なんたって、世界一高いタワーなんですから。

最初、東京タワーに代わる新しい電波塔を建てると聞いた時は、

「また、そんな無駄なものに大金をつかって・・・」
と否定的でした。
でも、工事中からどんどん高くなっていく様をずっと見守っていれば、どうしたって愛着がわいてきます。

そのうち、毎日見上げながら完成を心待ちするようになりました。


「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画があります。

当時世界一の高さを誇った東京タワー建設中、そのふもとで人情あふれる生活をしている人々の物語です。
私はこの映画が大好きです。毎回、大泣きしながら見ています。

私のお弟子さんに、まさにそのころ麻布で少年時代を過ごした方がいます。
生活はまさに映画の通りだったと言っています。

麻布あたりからは、どこにいても東京タワーは見えたようです。
どんどん高くなっていく東京タワーを見上げながら、胸をワクワクしながら毎日を過ごしたそうです。

うちの子供たちも、どんどん高くなってゆくスカイツリーを見て、何を感じているのでしょうかねえ。

今、麻布を歩いても、高いビルが多すぎて、東京タワーはなかなか拝めません。
我が家のあたりも、いずれ高い建物ばかりでスカイツリーは見えなくなってしまうかも知れません。


5月にオープンする東京スカイツリー。
東京タワーに変わる電波塔として、しばらくは活躍することになります。

そこで、ずっと気にかかることがあります。
今、我が家のテレビアンテナは東京タワーの方を向いています。

我が家に限らず、東京のほとんどの地域で、テレビアンテナは東京タワーの方を向いているはずです。

東京スカイツリーがオープンして、そこからテレビ電波が送られるようになったら、アンテナの向きは、スカイツリーに変えなければならないのですかねえ。

そうなると、たいへんなことになるはずです。

全ての家で屋根に登って、アンテナの向きを変えなければならないのです。
それならそれで、もう大騒ぎになっているはずなのですが、全く語られないところを見ると、アンテナの向きは変えなくて良いのでしょう。

じゃあ、東京タワーからもテレビの電波は出ているのでしょうかねえ。

よく分かりません。


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2012年03月17日

東京スカイツリー駅!!!

今日、東京スカイツリー駅が誕生した。
東武伊勢崎線の業平橋駅からの改称です。

うーん。残念。

能「隅田川」でおなじみですが、「業平橋」は在原業平が隅田川のほとりで

「名にし負はば。いざ言問わん都鳥。我が思ふ人は。ありやなしやと」

という和歌を詠んだ事に因むそうです。
(ちなみに、隅田川にかかる言問橋も、この和歌に因んでいます)

「業平橋」

美しい響きの素敵な名前です。
こんな、歴史と趣きのある名前を、どうして簡単に捨ててしまうのか。

全く理解できません。

別に、東京タワー駅は無いんだから、東京スカイツリー駅なんてのもいらないと思うのですが・・・


また、能「隅田川」の詞章にこうもあります。

「武蔵の国と下総の中にある隅田川にも着きにけり」

昔は、隅田川が武蔵国と下総国の境だったのです。
その二つの国を渡した最初の橋が、両国橋です。

つまり、隅田川の東側は下総国です。
東京スカイツリーが、武蔵国にちなんで634(ムサシ)メートルの高さに決められたというのも、ちょっとおかしいんじゃないかと思ってしまいます。


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2012年03月11日

追悼

本日は、東日本大震災からちょうど一年を迎える日です。

今日は九皐会でした。番組は、「熊野」と「殺生石」

開演に先立ち、九皐会門下一同で弔謡「海士」を手向けます。

そして、「熊野」終了後2時45分までの休憩時間の予定を、2時50分まで伸ばします。
2時40分になると、会場モニターにラジオをつなげ、会場内に国立劇場の追悼式の音声を流しました。

ラジオから流れる時報に合わせて、2時46分から黙祷です。

これは休憩時間にアナウンスなしでおこなったことでしたので、お客様はビックリしたかもしれません。

楽屋内では能楽師一同で黙祷をしていました。

見所並びにロビーでも、ほとんどの人が黙祷をしていたようです。
(というのも、みんな黙祷のために目をつむっているので、実は誰も正確な様子は分からないのです)

久々に、自粛ムードが復活したこの日。
能をやってていいのかとは思いませんでした。

能楽師は能を演じなければならないと思います。
それが、日本再生の一部分なのだと思います。

一日の能会が終わりました。
本来は、附祝言を華やかに謡うところですが、本日はしんみりと追加「融」が謡われました。


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2012年02月29日

うるう年

今日は、4年に1度のうるう年です。

私の同門に、この日に入籍した方がいます。

 

その夫婦は、4年に1度の記念日をさぞかし盛大にお祝いしていることでしょう。

 

おめでとうございます。

 

 

さて、今年は「うるう年」と「うるう秒」が重なる年です。

おまけに、旧暦では「うるう月」が入る年です。

これはかなり珍しいことなのではないでしょうか。

 

この229日は、実はとても有り難い日です。

私たち能楽師は、舞台のお仕事の合間にそれぞれのお稽古場を廻ってお弟子様のお稽古をいたします。

私は、個人稽古を「深川・沼津・富士・富士宮」の4か所。団体稽古を「江戸川・銀座・町田・深川・浦安」と5か所6クラス(銀座は水曜日と木曜日で2クラス)のお稽古場でお弟子様のお稽古をさせていただいております。

 

それぞれ月に2~3回ずつお稽古しております。

私の活動のメインは舞台活動です。当然、舞台のお仕事やその申合は最優先にスケジュールを組みます。

その合間に、上記のお稽古場を廻る訳です。

 

毎月、ジグソーパズルのように頭を悩ませます。

 

例えば、午前中に申合がある日は午後からの教室を組み合わせ、午後に催しがある日は夜の教室を入れます。

夜の公演に出演するときは、夕方までお稽古します。

 

毎月、効率よくお稽古をこなせるように、散々頭を悩ませます。

 

一番大変なのは、春秋の能繁期。

舞台の仕事が忙しいので、お弟子様のお稽古はなかなか都合がつかないことがママあります。

 

また、5月と8月と、12月と1月もたいへんです。

 

5月はゴールデンウィークが入るので、前半の1週間はお稽古日を設定できません。

8月もお盆休みで中旬は駄目ですし、年末年始もお稽古日を設定することは事実上無理です。

 

30日ないしは31日しかない1日を、いろいろ組み合わせてスケジュールを組むのは、毎月けっこう頭を悩ませます。

 

実は、2月もなかなかたいへんな月です。

何といっても、ひと月28日しかありません。

30日あってもパズルを組み立てるのは大変なのに、28日しかないので、結構頭を悩ませます。

だから、29日あるうるう年の年は、1日分余裕があってとても助かります。

 

そう思うと、つい恨み節を言ってしまいます。

 

何で、2月は28日しかないのでしょう?

 

昔聞いた話ですと、元々2月は29日で、8月が30日だった。

それに激怒したのが8月生まれの初代ローマ皇帝のアウグスタス。

 

「どうして、俺の産まれた月は30日しかないのだ」

 

そう言って、29日あった2月から1日を8月に移動したそうです。

 

私も8月産まれなので、アウグスタスの意見には賛成いたします。

 

でも納得できないのは、ただでさえ29日しかなかった2月から1日持ってきたことです。

私がアウグスタスなら、31日ある7月から8月へ1日移動します。

それによって、必要最低限の変更で済んだはずです。

 

1年は365日なのだから、基本的にひと月は30日として、どこか5つの月で31日にする。

これで良いと思ううですけどねえ。

なぜこうなっているのでしょう。



毎年、2月の編成に苦労する身から少々恨み事を言わせてもらいました。



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2012年02月26日

神遊 15周年記念公演

今日は、「神遊15周年記念公演」

私は、「木曾」の立衆を勤めた後、「船弁慶 重キ前後野替」の地謡。盛りだくさんの一日でした。

 

一噌隆之師・柿原弘和師・観世新九郎師・観世元伯師・観世喜正師の5人が結成する神遊も、15周年を迎えました。

この15年で、50回近くの公演を重ねてきたスーパーグループです。

 

今日もめでたく超満員。

 

「木曾」は、三読物の一つの重い習いの曲。立衆は40分ほど舞台上で座り続けなければならないツライ役です。

 

その後が、「船弁慶 重キ前後之替」

今回は、特に「船中之語」と「舟唄」の小書つき。

 

「船中之語」はワキ方の重い習いの語りで、「舟唄」は狂言方の重い習い。

「重キ前後之替」は、シテ方の重い習いですので、今回の「船弁慶」はスペシャルな能でした。

 

それぞれを、宝生閑師、野村萬斎師、観世喜正師が大熱演でした。

地頭は、観世銕之丞師です。地謡を謡わせて頂いて、たいへん勉強になりました。

 

「船弁慶」は、624日の「桑田貴志 能まつり」で私も勤めさせて頂きます。

 

今回、素晴らしい「船弁慶」に接して、気持ちが奮い立ちました。



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2012年02月23日

エデンの園 能の講座

連日、あちこちで仕事しています。

今日は、松戸にある「松戸ニッセイエデンの園」にて能の講演をさせて頂きました。

連日のハードスケジュールで、全く準備が追いつかない状態です。
学生の合宿から火曜の夜帰ってきて、懸命に資料作り。

昨日は、一日中お弟子さんのお稽古をしていたので、全く準備が出来ませんでした。

何とか作った資料を昨日メールで送って、今日は行きの車の中で、お話する内容の整理。
色んなところで、お話させて頂き機会が増えたので、馴れたのでしょうか。
今日も、何とか講演を勤めることが出来ました。

この「ニッセイエデンの園」は、いわゆる老人ホームです。
病院や、フィットネスセンター、カルチャースクールまで併設している、巨大な老人福祉施設です。

この高齢化社会、元気で好奇心旺盛な高齢者がたくさんいらっしゃいます。
約100名ほどの参加者の方たちは、とても活発。
楽しく講演させて頂きました。


学生の合宿から、老人ホームまで。
能楽師の活動範囲は、多岐に渡ります。


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2012年02月21日

明治大学能楽研究部 春合宿

若竹能が終わって疲れ果てていますが、翌日より恒例の明治大学能楽研究部の春合宿に来ています。

場所は千葉の岩井海岸。冬場の海岸は、驚くほど寂しい。
部屋に閉じこもって、謡ったり舞ったりするには絶好の環境です。

月曜日の早朝に出発して、午前10時頃から学生たちに稽古するつもりで早起きしました。

ところが・・・

声が出ません。連日の声の酷使で声がれした模様です。
このまま合宿に行って、学生たちを怒鳴っていたら大変だ。
午前中のお稽古は、お休みさせて頂いて、急遽近くの耳鼻科へ出かけました。

お医者様はひと声。
「喉が腫れていますねえ。でも声帯は大丈夫です。あまり声を出さずに安静にしていてください」

「いや、声を出さないわけにはいかないのです」

実は、かかりつけの耳鼻科が予約が取れなかったので、初めて行く耳鼻科だったので、私の職業を知らないお医者様だったのです。

そこで、自分の仕事のことを話すと、

「では、点滴をしましょう。抗生物質を血液に入れると、即効性があります」

なんと点滴です。

病室のベットに横になり、じっとしていると・・・・

ZZZZZ・・・・

「終わりましたよ」

看護婦さんの声で目が覚めました。

「点滴終わりましたけど、もうチョット寝ていきますか?」

よっぽど気持ちよさそうに眠っていたようです。

ずっと寝ていたかったのですが、そうもいきません。学生の合宿へ急いで出かけました。

点滴ってすごいですね。
朝には全然出なかったこえが、昼には回復していました。

夜には全快です。
せっかくなので、学生たちと全開で飲みました。

ただ次の日、寒い民宿で一日中声出していると、また声がかすれてきました・・・

学生たちに指導していると、つい昔を思い出して熱が入っちゃうんですよねえ。


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2012年02月19日

若竹能 復活公演

九皐会の若手のグループ・若竹会の能公演、若竹能。
この度、3年の充電期間を経て復活公演が行われました。

若竹能は、平成5年に第1回の公演以来、平成20年の31回公演まで続けられました。
この3年間は、九皐会の100周年事業と重なったためのお休みし、今回めでたく再開されました。

18日は「俊寛」。19日は「通盛」。

私は、18日は「俊寛」のツレ・成経をさせて頂きました。
そして19日は仕舞「俊成忠度」を舞いました。

2日間、大忙し。

今回は両日とも、めでたく完売御礼。

有難いことです。



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2012年01月31日

御用邸能楽サロン・富士能楽サロン

昨晩、徳島から最終の飛行機で東京に帰ってきたら、空港の駐車場に置いてあったクルマに乗って、一路沼津へ。

今日から「御用邸能楽サロン」と「富士能楽サロン」が始まります。

御用邸では、早くも5回目の能楽サロンです。
そして富士では初めての能楽サロン。

朝10時から始まるので、大事をとって前日から沼津入りしました。
この時期は、たまに雪などで東名高速が御殿場あたりで通行止めになったりするのです。

今朝、寝ぼけ眼で沼津のホテルで歯磨きしながら思いました。

「今、どこにいるんだっけ? 今日は何する日だっけ?」
たまに分からなくなります。

一昨日は、国立能楽堂で仏倒れをし、昨日は徳島の小学校で寒さに震えながら学生能をし、今日は沼津と富士で能楽サロン。

相変わらず、一貫性のない日々を送っています。


今回の能楽サロンは、初めて正月から春にかけての開催です。
初回の感じは、手ごたえ上々。

楽しく、能に親しんで頂けるよう、工夫を凝らしてやっていきたいと思います。

今日の様子を、静岡新聞と、岳南朝日新聞が取材に来てくださいました。
明日か明後日あたり、新聞に掲載されると思います。


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2012年01月30日

冬の体育館

今日は、文化庁の学生能公演で徳島へ。
今回は日帰りでした。

小学校の体育館で公演を行いました。

折しも、上空には今世紀最大級の寒気が押し寄せています。(もっとも、今世紀に入ってまだ12年ですが)

小学校の体育館の寒いこと寒いこと。

結局、紋付と襦袢の内側に、ヒートテックなどを4枚も重ねて着、さらにカイロを4つも貼り付けて地謡に座りました。

さすがに寒くなかったです。

でも、見ている小学生は、みんな薄着です。

そう言えば、私も小学校の時は冬でも半袖半ズボンで学校行っていたなあ・・・

子供って、寒くないんですね。
不思議だ。。。


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2012年01月29日

夜討曾我 十番斬

のうのう能別会にて、「夜討曾我 十番斬」がでました。

「夜討曾我」は、曾我兄弟の仇討ちに題材をとった能です。「十番斬」の小書がつくと、斬られ役の郎党が10人登場して、時代劇さながらに曾我兄弟はバッサバッサと斬りまくります。

登場する立ち役は、総勢21人。
現行曲の中で、一番多くの人数が出てくる大スペクタクル能です。

私は斬られ役の一人として出演しました。


能では、チャンバラのことを斬り組と言います。

この斬り組は、型付けの様なものは無く、その都度斬られ方を考えます。

やはり男の子の能楽師は、喜んで斬り合います。

もう一つの見せ場は、斬られ方。
皆工夫して、斬られていきます。

ノーマルなのは、安座。
空中で足を胡座の様に組み、そのまま舞台に着地する躍動的な技です。

後は、仏倒れ。
直立したまま、後ろ向きに倒れる大技です。
これは、後頭部直撃の危険のある危ない技です。

ちょっと身体のキレる人は、前宙です。
前方にとんぼ返りする派手な技。

その他、前方仏倒れなど様々の技があります。

私は、いつもは前宙をすることが多いのですが、今回は仏倒れに挑戦しました。

久々だったので、前日に家で布団を敷いて練習しました。

笑えないことに、負傷する人もたまにいるのです。

今回は、ちょっと頭を打ちましたが、概ね上手く斬られたように思います。

40歳なったので、そろそろ危ないことは止めようと思うのですが、ついやってしまうのですよねぇ



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